「その時、入居者の命をどう繋ぐか」―仙台商工会議所・仙台市主催、福祉・介護事業者向けBCP実践訓練レポート

2026.03.06

レポート

2026年1月28日、仙台商工会議所と仙台市の主催による「福祉・介護事業者向けBCP実践訓練セミナー」が開催され、36事業所(38名)が参加しました 。2024年4月より、すべての介護・福祉事業者においてBCPの策定が義務化されました。感染症や自然災害が発生した場合でも必要な介護・福祉サービスを継続して提供できる体制を構築するため、BCPの策定に加え、研修やシミュレーション訓練の実施も求められています。こうした背景のもと、本セミナーでは、東京海上日動火災保険株式会社の専門家を講師に迎え、BCPの実践的な理解と運用力の向上を目的として実施されました。

BCPの本質

はじめに、講師より、BCP(事業継続計画)の意義について解説がありました 。BCPには、事業への損害を最小限に抑えるための計画だけでなく、早期復旧とその後の体制強化に向けた「平時からの備え・訓練・投資」の計画も不可欠であると説明がありました。

東日本大震災に関連した倒産の9割以上が、震災直後の直接的な被害ではなく、その後の資金繰りや計画の破綻といった「間接的な被害」によるものであったという調査結果が共有されました。また、仙台市固有のリスクとして「長町―利府線断層」による直下型地震への言及がありました。

介護現場においては、入所者・従業員を守り抜くことが最優先事項であり、そのためには「発災後3日間の初動」が全ての命運を分けることが示されました。今回のシナリオでは、介護施設がいかに迅速に避難体制を敷けるかが、マニュアルの「実効性」を問う試金石となります 。

【机上訓練】震度6強、その瞬間に突きつけられる「現場の判断」

続いてワークショップでは、架空の施設をモデルとしたシミュレーションがスタートしました 。従業員80名、入所者120名を抱える郊外の施設に、マグニチュード7.1、震度6強の巨大地震が襲うという設定です 。

テーブルごとに参加者の中から「施設長」を任命し、震災発生後の迅速な判断が必要であるというリアリティを持って「事前に対策しておくべきだったこと(青の付箋)」と「今すべきこと(黄色の付箋)」の意見を書き出します 。

局面①:指揮命令系統の空白をどう埋めるか

地震発生時、施設長のAさんは不在で連絡が取れません。この状況で誰が指示を出すべきか。参加者からは、「施設長不在時は副施設長や現場リーダーが代行する仕組みが必要」との意見が出されました 。

講師は、BCPにおいて「権限委譲」と「代行者の事前設定」は必須であると指摘がありました 。施設長が判断を下すまで現場が動けないようでは、人命救助のゴールデンタイムを逃してしまいます。特に、意思決定の権限をあらかじめ委譲しておくことは、現場の職員に「自分がやるべきだ」という確信を持たせるために不可欠です 。

局面②:牙を剥くオフィス機器と「人命救助」の最優先

地震が収まった直後、施設内には天井の崩落や割れたガラスが散乱しています 。ここで議論に挙がったのは、意外にも「コピー機」の恐ろしさでした。

「東日本大震災の際、コピー機がフロアを端から端まで猛スピードで走り回った」という実体験が語られました 。数百キロの重量がある機器が凶器と化す中、ストッパーの固定化といった「事前対策」がいかに生死を分けるかが共有されました 。

介護現場における初動対応は、「利用者の安否確認」と「救助・救護」の同時並行です。特に、人工呼吸器や喀痰吸引器を使用している入所者にとって、停電は文字通りの死活問題です。どの機器がどの電源に繋がっているか、ポータブルバッテリーや自家発電機が何時間稼働するかを、全職員が「リスト化された情報」として共有している必要があります。

介護現場特有のジレンマ:搬送、帰宅、そして地域貢献

演習が進むにつれ、議論は介護施設ならではの極めて困難な判断へと移っていきました。

「徒歩での病院搬送」という過酷な選択

施設内で数名の骨折者や重傷者が発生し、2キロ離れた総合病院へ搬送しなければならない状況が提示されました 。救急車は来ません。

参加者からは「看護師がトリアージを行い、優先順位を決める」「担架を使い、4名1組を2チーム作り、計8名で交代しながら運ぶ」という具体策が提案されました 。

「最強の移動手段は徒歩である」という講師の言葉は、道路の寸断や渋滞により車が機能しなくなる被災地の現実を突きつけます。しかし、一人の利用者を運ぶために8名もの職員が現場を離れることは、残された100名以上の利用者の安全をどう担保するかという、別の深刻な問題を孕んでいます。

職員の「帰宅」と管理責任

「自宅の家族が心配なので帰りたい」と申し出る職員への対応についても、様々な意見が交わされました 。

「迷ったら帰さないのが基本」という講師の言葉には、管理責任という重い側面があります。無理に帰宅させた職員が津波や倒壊に巻き込まれた場合、施設側の責任が問われる可能性があります。
一方で、参加者からは「小さいお子さんや介護家族がいる職員を優先的に帰し、現場に専念できる人員を確保する」という案も出されました。日頃から職員の家庭環境や自宅の位置を把握しておくことの重要性が共有されました 。

地域社会との「共助」の境界線

近隣住民20名が避難を求めて訪ねてくる場面では、介護施設の役割が問われました。
「人道的な観点から受け入れたいが、入所者の安全と備蓄には限界がある」。
過去の事例として、近隣の消火活動を手伝わなかったことで風評被害を招いた例も紹介されました。介護施設は地域にとっての「砦」であると同時に、入居者への専門的なケアを維持しなければならない「閉鎖空間」でもあります。このバランスをどう取るか、あらかじめ地域住民と「どこまで対応できるか」を協議しておくことの重要性が確認されました。

参加者の声

演習後の質疑応答では、現場を預かる責任者たちから、マニュアルの行間を埋めるような現実的な意見が次々と出されました。

デイサービス利用者の「帰宅困難」問題

「東日本大震災の際、法人の通所施設が被災し、利用者さんが1週間ほど滞在せざるを得なかった」というグループホームの方の体験談は、全ての参加者に緊張感を与えました。通所系事業者においても、発災したその瞬間から「1週間分の宿泊・食事・ケア」を想定した備蓄と人員配置を考えなければならないという現実が共有されました。

「自助」から「公助・情報共有」へ

「自分たちの努力だけでは限界がある。どこに行けば水があり、どこで電源が確保できるのか、行政側からの情報発信もBCPに組み込みたい」という意見もありました。これに対し、講師からは「自治体との連携を確認し、情報を集約する橋渡しをしたい」と意見が出ました 。

職員への周知という最大の壁

「管理者層だけで作ったBCPは、全従業員に浸透させられるだろうか」という質問に対し、講師は「全従業員に周知が行き届いている企業は多くないのではないか」と現状の課題を共有しました。
解決策として、BCPの要点をピックアップして「トイレの個室」や「食堂」に掲示し、日常生活に溶け込ませるという手法や、ゲーム感覚で備蓄品の場所を覚える謎解きワークショップなどが紹介されました 。

むすびに:命を守るために、今こそ問われる現場のレジリエンス

演習の冒頭、講師から「BCPとは、事業への損害を最小限に抑えるだけでなく、早期復旧とその後の体制強化を見据えた『平時からの備え・訓練・投資』の計画そのもの」という本質的な視点が示されました。
この視点は、一分一秒の遅れが生命の危機に直結する介護現場において、極めて重い意味を持ちます。なぜなら、電気が止まり救急車も来ない極限状態の中で、入所者の命を繋ぎ止めるのは、書面上の立派なマニュアルではないからです。
真に事業を継続させ、復旧へと向かわせる原動力は、平時の備えに裏打ちされた、現場職員一人ひとりの「瞬時の判断」に他なりません。

しかし、その判断力を養うためには、管理者層だけで策定した「紙のBCP」では不十分で、日常生活の中にBCPを溶け込ませる工夫が必要です。食堂やトイレに要点を掲示する、あるいは会議の合間に「今、ここで地震が起きたら?」と問いかける数分間のシミュレーションを繰り返すといった、「日常の延長線上にある訓練」こそが、いざという時に動ける組織を作るのではないでしょうか 。

「if(もしも)」を想定するのではなく、「when(いつか来るその時)」を見据えて、今日から一歩を踏み出す。その小さな対話の積み重ねが、強靭なレジリエンスを地域の介護現場に根付かせていくのです。